2018/02/07
うまくいっていると 思っていたのに
わたしの夫婦関係が 親戚中で心配され始めた頃
いとこの男の子も みんなに心配されていた
わたしは とんでもないところに嫁に行ったと心配され
彼は とんでもない嫁をもらったと心配されていた
子供の頃は 春休み 夏休み 冬休みと
一緒に過ごすことが多く とても仲が良かった
そのまま 育っていれば・・・
大人になってからも いろいろ相談しあえたかもしれない
思春期になった頃 わたしたち家族が遠くに引っ越したために
いとこの男の子ともなかなか 会うことができなかった
大人にになって ゆっくり話したのは
父のお葬式に来てくれた時かもしれない
みんなの前では ありきたりな話しかできなかったが
電話で お互い相談したのも この頃かもしれない
彼は 女としての意見が知りたくて
わたしは 男としての意見が知りたかった
こうやって 相談しているのだから
やっぱり お互いうまくいっていなかったのだと思う
彼に 『男だけはつくるなよ』 っと言われたのを覚えている
わたしが 離婚したと知ったときは 電話をかけてきてくれて
何度か 長電話をした
彼も まだ 大変そうだった
いちど 俺と妻のことを知っている人に
相談してみようかと思っているんだ
俺の知り合いに相談しても 俺の味方だからね
そうだね わたしもみーくん(いとこ)の味方だしね
奥さんが悪いって思いながら話を聞いちゃってるからね
それから月日が経って
40を超えると 体調を崩しやすいので
これからは 大切にしていかないと罰が当たる
そんなことを嫁が言っていたと 彼の母親から聞いた
彼の母親は びっくりしたらしい・・・
わたしも びっくりだ
いい方向に向く 何か大きなことがあったのかな
っと思うほど 意外な言葉だった
でも・・・夫婦仲良く過ごせるようになったのは
よかった そう思っていた
それなのに・・・
彼の奥さんは
わたしが自立できるようになったら 離婚します
でも 養育費は払ってもらいます
娘は医者か弁護士と結婚させて わたしも一緒に暮らします
そう 彼の母親(奥さんからすると義母)に言ったらしい
なんという 嫁なのか
それならもっと早く 離婚してあげてほしかった
彼は 子供がたくさんほしかったのに・・・
もっと 暖かい家庭が欲しかったのに・・・
若ければ・・・
別の温かい家庭を持つことができたかもしれないのに
わたしが離婚したとき
今はつらくても じいちゃんやばあちゃんみたいに
ふたりになったとき 仲良く暮らせていたら
それが 一番 幸せなことなんじゃないかなぁ
自分にも 勝ったことになるんじゃないかなぁ
だから みーくんは 頑張ってよ
俺も そうおもう
この時は まだ 離婚しても なにか 吹っ切れていなかった
自分に負けたような気がしていたのかもしれない
もっと 我慢できたのではないかと・・・
だから こんなことを 言ってしまった
頑張ってよ なんて 言うんじゃなかったな